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2026.01.22
特集記事

令和7年度地域の特色ある埋蔵文化財公開活用事業「宮古諸島の水中文化遺産」

現在、宮古島市歴史文化資料館(旧砂川中学校)にて「宮古諸島の水中文化遺産」を紹介する展示が行われています。
本展示は、宮古島市教育委員会が主催する令和7年度地域の特色ある埋蔵文化財公開活用事業 第2回として企画されたもので、宮古島周辺の海に眠る沈没船や海底遺構、沿岸の文化財を通して、島と海の歴史を多角的にひもとく内容となっています。

水中文化遺産とは?

ユネスコの定義

文化的、歴史的又は考古学的性質を有する人間の存在のすべての痕跡であって、
その一部又は全部が、定時的又は継続的に、少なくとも100年以上水中にあったもの

をいいます。

文化庁の定義

水中考古学の対象となる「水中遺跡」について、水面から遺跡までの水深に関係なく、「常時水面下にある遺跡」と定義しています。

具体的には、
1.海難事故に伴う沈没船や、船の積み荷などの遺物が散布している場所
2. 港として利用されていた港湾遺跡など
3. 石切り場、石干見、塩田などの生産遺跡
4. 海面や地殻変動により水中に沈んだ遺跡
5. 本来は海底にあったものであるが、現在は陸に引き揚げられている碇石や鉄錨など

宮古島の水中文化遺産が語る交流と暮らしの歴史

宮古島市教育委員会 生涯学習振興課 文化財係・資料室担当の池間さんにご案内いただき、展示の背景や各遺跡の特徴について解説を伺いました。

宮古島周辺では現在、22件の水中文化遺産が確認されています。
それらは単なる沈没船の記録ではなく、交易、海難、救助、そして島民の暮らしの知恵が重なり合った、海と人との関係史そのものです。

展示では、水中文化遺産を

・海上交易の痕跡
・航路と地形が生んだ海難の記録
・海と共に生きてきた島の生活文化

という複数の視点から紹介しています。

本ブログでは、展示の中からいくつかをピックアップして紹介します!

来間島沖海底遺跡

来間島の西側海域に広がる水中遺跡で、宮古島市内では唯一のグスク時代(11世紀後半〜1609年)の遺跡です。

海底からは、16世紀前半の中国産陶磁器(青花・青磁)が広範囲に散布して見つかっています。
陶磁器が一点に集中せず散在していることから、嵐などの海難時に船を軽くするため積み荷を投棄した、あるいは座礁・沈没した可能性が考えられています。

異国船の時代

18〜19世紀、大航海時代を経てヨーロッパ諸国がアジア航路へ進出すると、宮古島周辺の海域では多くの外国船が見られるようになりました。
サンゴ礁(リーフ)が発達した宮古の海は、航行の目印となる一方で、外国船にとっては情報の少ない海域での航海で座礁・沈没することもありました。

展示では、次のような異国船の事例が紹介されています。

  • イギリス軍艦プロビデンス号(1797年)
    八重干瀬で沈没。清朝の陶磁器や、イギリス海軍に関わる遺物が確認されています。

  • イギリス商船レディ・イブリン号(1853年)
    吉野海岸沖で座礁。船の重りとして積まれていた花崗岩(バラスト石)は、島内の石段や建造物の基礎などとして再利用されています。

  • オランダ商船ファン・ボッセ号(1857年)
    多良間島沖で沈没。「AMSTERDAM」と刻印された陶器瓶など、ヨーロッパ由来の遺物が見つかっています。

これらの遺跡は、宮古島周辺海域が近代においても国際航路の一部として利用されていたことを示しています。

海難の先に生まれた博愛の記憶

1873年に座礁したドイツ商船ロベルトソン号の遭難は、宮古島の水中文化遺産の中でも特に象徴的な出来事です。
当時の島民は、言葉も文化も異なる遭難者を助け、34日間に渡って衣食住を提供し、看護や埋葬まで行いました。

この出来事は後にドイツ皇帝へと伝えられ、その感謝の証として1876年「ドイツ皇帝博愛記念碑」が建立されました。
皆さんの存じの「うえのドイツ文化村」は、この出来事をルーツとする国際交流の象徴なのです。

宮古島の水中文化遺産は、沈没船や遺物そのもの以上に、海と共に生き、外の世界と向き合ってきた島の姿を映し出しています。
水中文化遺産は、守るべき過去であると同時に、未来へ受け継ぐべき地域の記憶です。

「宮古諸島の水中文化遺産」展は、2026年2月8日まで開催されています。
ぜひ宮古島市歴史文化資料館に足を運び、海の底に刻まれた歴史に触れてみてください。