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Message from ecoislandエコアイランド通信

2022.01.14
特集記事

島の歴史と文化を知ろう「海の帝国琉球と宮古」開催 !

私たちは、この住み慣れた宮古島をどれぐらい知っているのでしょうか?

もちろん道も分かるし、絶景スポットもご飯の美味しいお店も全部知っている。

ご近所ニュースも島内新情報もすぐに耳に入ってくる・・・。

そう考えていると、なんだかほとんど知っているような気さえしてきます。

しかし、島の豊かな自然や環境、歴史、伝統、文化について、詳しく知っている人はどれぐらいいるのでしょう。

この大切な財産を未来へ残していくために、今、どのような取り組みが必要とされているのでしょうか?

 

昨年5月、文部科学省と環境省は、「持続可能な開発のための教育(ESD)」に関する実施計画(第2期ESD国内実施計画)を発表しました。

ESDは、持続可能な社会の創り手を育む教育のことで、世界で起きているさまざまな問題を、自らの問題として捉え、身近なところから主体性を持って取り組むことにより、それらの問題解決につながる新たな価値観や行動を生み出すこと、そして、それにより持続可能な社会を創造していくことを目指す学習や活動のことです。

また、教育の場や学習者の年齢を限定せず、場所・時間に縛られずに、誰もが参加することのできる生涯学習でもあります。

去年10月1日、そんなESDにもつながる宮古島市歴史文化資料館が開館しました(*^_^*)!

同館は、統廃合により廃校となった砂川中学校校舎をそのまま活用し、島の歴史や文化財についての調査成果や、国指定重要無形文化財である宮古上布の魅力を市民に広く伝え、 文化継承支援を目的に運営され、市史編さん室や埋蔵文化財資料室・収蔵室のほか、宮古苧麻績保存会と宮古上布保持団体の3組織が入所しています。

 

 

そんな宮古島市歴史文化資料館で、先月13日から来月4日まで、「海の帝国琉球と宮古」と題し、文化財の公開展示が行われています。

 

▲宮古島の昔の歴史や生活などについて記されている「宮古島記事仕次

▲中国産陶磁器

 

今回は、13世紀後半から16世紀の宮古島産土器や中国産陶磁器などの展示や、その土器が発掘された場所・年代から分かる沖縄本島と宮古島、さらには八重山諸島との関わりの歴史を、パネルで分かりやすく紹介されています。

また、12月26日には展示解説会も行われ、多くの市民が久貝弥嗣さん(市教育委員会生涯学習振興課文化財係)の説明に聞き入っていました。

 

久貝さんによると、14世紀頃の宮古島には「佐多大人」が率いる「与那覇はら軍」という凶悪な集団が現れ、次々と島内各地の集落に攻め入っては、村々を滅ぼしていたそうです。

宮古島記事仕次の中で、与那覇はら軍の様子について「戦いに負けると、その村は焼き払われ、男女一人残らず殺戮され、田畑は奪い取られる」、「与那覇はらという集落の主長である作多お不ひと(佐多大人)は十行(1000人)の兵力を率いて、村々へと攻め入った」と記されています。

それを裏付けるかのように、15世紀前半には島の大きな集落(高腰城跡、ミヌズマ遺跡、大嶽遺跡など)が終焉を迎えたことが遺跡からも確認されているそうです。

今からほんの600年前ぐらいであるにも関わらず、このような争乱がこの宮古島で繰り広げられていたなんて、とても想像がつきませんね。

その後、与那覇はら軍は「目黒盛豊見親」によって滅ぼされ、その目黒盛豊見親の玄孫(やしゃご)が、宮古島で有名な「仲宗根豊見親」です。

そして、1500年のオヤケアカハチの征討では、先導をつとめ、みごと勝利へ貢献したことで、

より琉球王国との主従関係は強固のものとなり、沖縄本島と宮古島間の往来も活発化していきました。

 

宮古島市教育委員会生涯学習課の久貝係長は、

「離島である宮古島の歴史は、島の外からの影響を強く受けてきた。特に首里王府の影響力はとても大きく関係しており、今回の展示により、その辺りを感じてもらえたらと思う。また、同館を通じて宮古の歴史・文化を多くの市民に知ってほしい。」

とコメント。

 

持続可能な社会の実現へ、

はるか昔の先人たちの生活に思いを馳せながら、まずは私たちの歴史や文化を知ることから始めてみてはいかがでしょうか?